韓国の息吹が漂う
街並みについての紹介
KOREA
かつては朝鮮市場と呼ばれていた大阪鶴橋・生野コリアンタウンについて紹介しております。現在のような観光地のイメージとは異なり、鮮やかな韓国文化と独特の雰囲気が広がる場所です。当時から多くの在日韓国人の方々が暮らし、その繁華な雰囲気は今も健在です。また、朝鮮市場の賑わいや活気、地元の人々の暖かさに触れることができる写真やエピソードも掲載しております。
苦難と情熱から生み出された青春の軌跡
約70年前に韓国済州島から若者たちが来日し、想像もできないくらいの想いで生野コリアンタウンの地に辿り着きました。それが始まりです。その歴史は、大変感慨深いものです。(下記ウィキペディア参照)現在までのコリアンタウンになるまで沢山の苦労があったことでしょう。済州島から来日された先人たちが命懸けで作った生野コリアンタウンの歴史をこれから先も大切に守って沢山の想いも引き継いでいきます。
当時、困難な状況や言葉の壁を乗り越えながら、この地で新たな生活を築いてきました。済州島から来日された先人たちが残してくださった沢山の愛をこの町に帰ると感じる瞬間が多々あります。キムチ屋さんの奥から聞こえてくるキムチを作っているおばちゃんたちの笑い声!とにかく元気です!チャリンコのかごに仕入れの韓国食材をいっぱい積んで必死に店に向かうお兄さんがいたり!車より速いスピードで!一見、ケンカしてるんちゃう?と思うぐらい勇ましい口調で話しをしている声のでっかいおっちゃんたち!近くに寄るとめちゃくちゃ仲ええやんって内容の会話。マジでホッとする。というわけで、あちらこちらで在日の人たちがとても楽しいことを見せてくださる。本当にコリアンタウンの在日韓国人の人たちは全部に全力で物凄いエネルギーの持ち主しか存在しません。このパワフルな歴史と情熱に敬意を払いながら、在日魂を継承していきます。
生まれ育った生野コリアンタウン
本当にここは韓国かってくらい韓国街なんです。
今のコリアンタウンは私が幼いころは【朝鮮市場】と呼ばれよくチャリンコでキムチのお使いに行きました。当時は日本語が通じないくらいの場所でした。ハングルが飛び交う場所でしたね。今のような観光地ではありませんでした。在日の人の韓国食材の買い出しの場所でした。
お使いに行って目に映る大人の人たちの必死に働く姿は未だに目に焼き付いてます。コリアンタウンのおっちゃんやおばちゃんは朝日が昇る頃から働き始めます。
現在も朝日が昇ると同時にコリアンタウンのオープン準備が始まります。毎日、一生懸命働いて、夜は美味しいもの食べて、お酒飲んで、おもいっきり笑って、大きい声でカラオケして。全部に一生懸命に生きる大人たちを幼いころからめちゃくちゃ見てきました。いつか自分も大人になったらいっぱい働いていっぱい美味しいもの食べていっぱい遊ぼうと思ってました。ちゃんと思い通りの人生になりました。お陰様で、今、とても幸せです。
ハングリー精神を鍛えられる町【生野コリアンタウン】は私の原点です。